子供のダンスが上手くなる環境と親が大切にしたいこと

獅子会のSHIGEです。
今日は、ダンスが伸びる子に共通しているものについて、俺が最近ほんまに感じていることを書いてみます。
最近ほんまに思うんですけど、ダンスが伸びる子って、技術だけで伸びてるわけじゃないんですよ。
もちろん、技術は大事です。基礎もいるし、音もいるし、身体の使い方もいる。練習せんで上手くなることはないです。そこはもう当たり前です。
ただ、その当たり前の手前に、もっと大事なものがある。
それが、その子が日々何に触れているかなんです。
どんな言葉に触れているか。どんな先生に触れているか。どんな仲間と一緒にいるか。どんな場に身を置いているか。親がどんな見方でその子を見ているか。これが、思っている以上に全部その子の中に入っていきます。
俺は昔、もっと技術寄りで考えていたところもあります。これを教えたら変わる、これを練習したら上手くなる、こういうやり方をしたら結果が出る。もちろん、それも間違いではないです。
でも今は、それだけじゃないなと強く思っています。
要は、技術が入る器があるかどうかなんです。器が整っていないまま、外側の技だけを詰め込んでも、どこかで苦しくなる。逆に器が育っている子は、同じ一言でも入り方が違う。同じ練習でも残り方が違う。同じ失敗でも、次に進む材料にできる。
ダンスは身体だけで踊っているようで、実はその人の在り方がそのまま出ます。
だから、技術の前に「どう在るか」がある。俺はそこを、獅子会で一番大事にしたいと思っています。
「為せば成る」という言葉があります。やればできる。やらなければできない。もちろんそうです。でも最近の俺の中では、そこにもう一個あります。
在れば成る!
その人の在り方がある。器がある。触れているものがある。だから成っていく。無理やり追いかけるというより、そこに向かう状態ができていく。これが、めちゃくちゃ大事なんやと思っています。
外側ばかり見ていると、ほんまに大事な変化を見落とします。

子どもがダンスをしていると、親はどうしても外側を見ます。
上手くなっているのか。周りと比べてどうなのか。バトルで勝てるのか。先生に認められているのか。練習量は足りているのか。もっと本気でやった方がいいんじゃないか。
これ、気になるのは当たり前です。大事な子どもやからこそ、ちゃんと伸びてほしい。せっかくやるなら、本気でやってほしい。可能性があるなら、そこへ行ってほしい。そう思うのは自然なことです。
ただ、外側ばっかり見ていると、子どもの中で起きている小さい変化を見落とすんです。
- 前より人の話を聞けるようになった。
- できないことをすぐ投げ出さなくなった。
- 自分から身体のケアをするようになった。
- 悔しい気持ちを、次の練習に向けられるようになった。
- レッスン後の顔つきが少し変わった。
- 自分から「もう一回やる」と言えるようになった。
こういう変化って、順位や点数にはすぐ出ません。動画を見ただけでも分かりにくい。けど、俺はそこをめちゃくちゃ見ています。
なぜなら、そこが育っていないまま技術だけを入れても、どこかで苦しくなるからです。上手くいっている時はいい。勝っている時もいい。褒められている時もいい。
でも、負けた時、比べられた時、厳しいことを言われた時、自分の中に土台がないと折れてしまう。
逆に、土台がある子は、負けても終わらないんです。悔しいけど、次に行ける。できない自分を見ても、そこで自分を全部否定しない。今の現在地として見れる。
これ、ダンスの話をしているようで、ダンスだけの話じゃないんです。
子どもの受け取り方、親の見方、環境の空気、先生との関係、仲間との関係。全部つながっています。家族のことがぐちゃぐちゃしていたら、仕事にも影響する。仕事が乱れていたら、家庭にも影響する。全部営みなんです。
ダンスも同じです。身体だけ見ていても分からない。外側の動きだけ見ていても分からない。もっと奥のところ、どういう状態でその子がそこに立っているのかを見る必要があります。
本当に見るべきなのは、その子が自分の可能性を信じられる状態でいられているかです。
ここを見ずに「もっと練習しろ」「もっと頑張れ」だけを言っても、なかなか変わりません。まず土台を見る。そこから始める方が、結果的に伸びるのは早いです。
人は、触れるものが変わると本当に変わります。

俺がこの数年で一番強く感じているのは、人は触れるもので変わるということです。
それは、先生でもそうです。年齢は関係ないです。若くても、ほんまに深いことを見ている人はいます。逆に、年齢を重ねていても学びが止まっていたら、そこで止まる。
俺自身も、学び直してからものすごく変わりました。何年も同じ学びに触れて、何回も読み返して、最初は「へえ、そうなんや」ぐらいだったものが、ある瞬間に「あ、これや」と入ってくる。
一回読んで分かるものもあるけど、何回も触れて、別の経験をして、また触れた時に分かるものがある。これが面白いんです。
ダンスも一緒です。
一回レッスンを受けたら全部変わる、ということではありません。でも、良い言葉に触れ続ける。良い基準に触れ続ける。言っていることとやっていることが一致している大人に触れ続ける。そうすると、ある時にパッとつながる。
子どもは、大人が思っている以上に場の空気を受け取っています。
百回言われても変わらなかった子が、一回の本気の場で変わることがあります。これはほんまにあります。頭で分かったんじゃなくて、身体ごと分かった状態になる。
それは無理やり変えられたのではありません。本人の中で「自分もここに行きたい」「もう一回やってみたい」と火がついたということです。
俺は、これがすごく大事やと思っています。
親がどれだけ言っても、先生がどれだけ説明しても、最後に動くのは本人です。でも、その本人の中に火がつくには、火がつくようなものに触れないといけない。
- 本気で向き合ってくれる人。
- 言葉と行動が一致している人。
- できないことを責めず、次へ進ませてくれる場。
- 自分の可能性を勝手に小さく扱わない空気。
そういうものに触れた時、子どもは変わります。しかも、大人が思っているより早く変わります。
ここで大事なのが「いつ、どこで、誰と」です。
これは全員に共通していると思っています。どんな時代に生まれても、どこにいても、誰であっても、結局「いつ、どこで、誰と」に触れているかで変わる。ここが平等なんやと思います。
だからこそ、親が先にブレーキを踏んでしまうのはもったいないんです。「うちの子にはまだ早い」「厳しい場所は無理かもしれない」「そこまで本気じゃないやろ」と、大人の概念で決めてしまう。
もちろん家庭には事情があります。時間も無限ではありません。無理をすればいいという話でもありません。
でも、その時できる最善を考えることはできます。
子どもの可能性を、親の不安だけで閉じない。今触れさせてあげられるものは何か。今見せてあげられる世界は何か。そこを一緒に考えていく。
体験は、自信になります。
そして本当の自信は、勝った時だけに生まれるものではありません。「自分は変われる」と身体で分かった時に残ります。
まず子どもを見る前に、大人が自分を見ることです。

育てるとか、育成とか、子どもの成長を考える時に、どうしても子どもにフォーカスしすぎることがあります。
でも俺は、まず親やと思っています。
これは親を責めたいわけではありません。むしろ逆です。本気で子どものことを考えている親ほど、焦るし、不安になるし、口を出したくなる。大事やからこそ、結果を見てしまう。可能性があると思うからこそ、失敗させたくなくなる。
でも、その不安が子どもの可能性を止めていることがあります。
「もっとやりなさい」
「なんでできないの」
「せっかく習ってるのに」
そう言いたくなる気持ちは分かります。俺も完璧にできてきた人間ではないです。昔は自分の経験則だけで、これが正しい、こうしたい、こうするべきやと思っていたところもあります。
でも、それって結局、自分の見えている範囲の未来でしかないんです。
自分の経験だけで行ける場所には限界があります。だから任せることも必要になる。知らないことは知らないと言うことも必要になる。自分より得意な人がいるなら、その人に任せる。それは負けではなくて、自分の器が広がることなんです。
子どもにも同じです。
親が全部コントロールしようとすると、子どもは親の見える範囲でしか動けなくなる。親が不安でブレーキを踏めば、子どももそのブレーキを自分のものやと思ってしまう。
だから、まず大人が自分を見る。
- 自分は何に触れているのか。
- どんな言葉を使っているのか。
- 子どもを結果だけで見ていないか。
- 自分の不安を、子どもの課題にすり替えていないか。
- 言っていることと、やっていることが一致しているか。
ここがズレていると、子どもは感じます。大人がどれだけいいことを言っても、行動が違っていたら伝わらない。
俺が大事にしているのは、言行一致、知行合一です。言っていることとやっていること。知っていることと行動していること。そこが一致してきた時、人はほんまに変わっていきます。
子どもを変えようとする前に、大人が自分の在り方を見る。そこから家族の空気が変わり、子どもの受け取り方も変わっていきます。
正しいことほど、在り方がないと続きません。

練習した方がいい。良い先生に触れた方がいい。身体のケアをした方がいい。イベントにも出た方がいい。
こういうことは、言葉にすると簡単です。正論です。誰も否定できない。
でも、現実はそんなに簡単ではありません。
学校もある。宿題もある。家族の予定もある。疲れている日もある。子ども自身が乗らない日もある。親も仕事や生活がある。心に余裕がない日もあります。
だから、正しいことを並べただけでは続きません。
ここで必要になるのが、在り方です。
なぜそれをやるのか。何のためにその場に行くのか。何を大切にして練習するのか。結果が出なかった時に、どう受け取るのか。
これがないと、全部が義務になります。
練習が義務になる。レッスンが義務になる。親の送迎も義務になる。イベントも義務になる。そうなると、どれだけ正しいことをしていても苦しくなるんです。
俺は、難しいことをどんどん増やすより、当たり前のことをちゃんと当たり前にやる方が大事やと思っています。
- 挨拶をする。
- 感謝する。
- 人の話を聞く。
- 身体を大切にする。
- 分からないことは分からないと言う。
- できないことを責めず、今の現在地として見る。
これ、小学生の時に本当は全部習っているようなことです。けど、みんな大人になるにつれて、なんか難しいことの方がすごいと思ってしまう。
でも違うんです。ほんまに大事なことは、めちゃくちゃシンプルです。
当たり前をちゃんとやる。言葉と行動を一致させる。自分がどう在るかを見る。そこが整ってくると、同じ練習でも入り方が変わる。
できない理由は、意志が弱いからではありません。
土台が整っていないまま、外側の正しさだけを増やそうとするから苦しくなるのです。
子どもにとっても、大人にとっても、戻ってこられる土台が必要です。その土台を作るのが、日々触れている言葉であり、環境であり、在り方なんです。
自分の100点を、自分で採点できるようになること。

ダンスをしていると、どうしても誰かに採点されます。
バトルなら勝ち負けがある。イベントなら人の目がある。レッスンなら先生の言葉がある。動画を出せば、見た人の反応がある。
それはそれで大事です。外からの評価があるから気づけることもあります。人前に立つから強くなる部分もあります。
でも、そこに自分の全部を預けたらあかんのです。
俺は、自分の採点は自分でしかつけられへんと思っています。
今日の自分の100点がある。昨日の100点がある。明日の100点がある。全部違っていいんです。昨日できたことが今日できない日もあるし、今日は身体が重い日もある。気持ちが乗らない日もある。
でも、その日の自分の100点は必ずある。
親がそこを見てあげられるかどうかは、めちゃくちゃ大事です。
結果だけを見たら、「今日はあかんかった」になるかもしれない。でも、その中にもあるんです。逃げなかった。最後までやった。人の話を聞いた。悔しそうにしていた。自分で考えようとしていた。
そこを見つける。
これは甘やかしではありません。今日の100点をちゃんと見た上で、次に進むということです。
完璧にできなくてもいい。毎日全部を管理しなくてもいい。親が全部背負わなくてもいい。
- 今日できるケアを一つやる。
- レッスンで聞いた言葉を一つ思い出す。
- 結果ではなく、今日できたことを見る。
- 子どもの成長を、親も一緒に面白がる。
- できなかったことを、次の材料として置いておく。
それだけでも、触れるものは変わります。
俺は「大丈夫」という言葉も好きです。
ただの気休めの大丈夫ではなくて、ちゃんと積み上げた先にある大丈夫です。徳を積むとか、学び続けるとか、当たり前のことを当たり前にやるとか、そういうものが重なって出てくる大丈夫。
子どもに対しても、ただ「大丈夫、大丈夫」と言えばいいわけではありません。
その子の今日の100点を見ているから言える大丈夫。今の現在地を見ているから言える大丈夫。次に進む力があると信じているから言える大丈夫。
今の自分の100点を認められる子は、次の一歩に進みやすくなります。
自分を否定するためではなく、次に進むために現在地を見る。その感覚を育てたいんです。
親だけで抱え込まなくてもいい。家庭だけで全部を作らなくてもいい。子どもと一緒に、良い言葉、良い体験、良い大人、良い仲間に触れられる場所を持てばいい。
その入口の一つが、俺にとっての獅子会です。
獅子会で得られるのは、ただの練習時間ではありません。

獅子会は、ただレッスンの時間を増やすためだけの場所ではありません。
もちろん、ダンスはやります。身体の使い方も見ます。音の取り方も、表現も、基礎も大事にします。そこは当たり前です。そこをやらないという話ではありません。
でも、それだけなら他にも場所はあります。
俺が獅子会で作りたいのは、人が変わっていける場です。
教科書通りに動ける子だけが正解ではありません。型を覚えることも大事やけど、型だけでその子を抑え込んだらあかん場合もある。のびのびやった方が伸びる子もいる。火を消したらあかん子もいる。
俺自身も、教科書通りだけで生きてきたわけではありません。それでも生きてこれたし、だからこそ見えるものがあります。
もちろん、何でも自由にしたらいいという意味ではありません。自由にやるためには、土台がいる。のびのびやるためには、当たり前のことをちゃんとやる必要がある。
挨拶、礼儀、感謝、継続、身体を大事にすること、人の話を聞くこと、自分の言葉と行動を一致させること。そこを抜いた自由は、ただの好き勝手になります。
だから獅子会では、ダンスを通してそこを見ます。
触れる言葉が変わると、練習の意味が変わります。
同じ練習でも、「やらされている」と感じるのか、「自分の身体を知っている」と感じるのかで、全然違います。
できない動きに出会った時も、「自分は向いていない」と思うのか、「今の現在地が見えた」と思うのかで、次の一歩が変わります。
獅子会に触れるメリットは、こういう受け取り方の基準が少しずつ変わっていくことです。うまくいった日だけ価値があるのではなく、うまくいかなかった日にも意味があると分かる。そうなると、練習はただの反復ではなくなります。
親の見方も変わります。
親はどうしても結果を見ます。勝ったか、負けたか。できたか、できなかったか。周りと比べてどうか。
でも、本当に大事な変化はもっと小さいところに出ます。レッスン後に自分から靴を整える。前より人の話を聞ける。できなかったことを、もう一回やってみる。厳しい場に触れた後に、もう一度行きたいと言える。
そういう変化を見逃さないことが大事です。
子どもを外側の評価だけで見ない。
今日の100点を見て、そこから次の一歩を一緒に考える。それが、獅子会で大切にしている見方です。
先生も、場も、止まらずに更新されていきます。
先生が昔の成功体験だけで止まっていたら、生徒もそこまでしか触れられません。
俺自身も学び続けます。考え続けます。言葉を更新します。見方を深めます。そうやって自分が変わり続けるからこそ、生徒や保護者にも「自分も変わっていける」と伝えられると思っています。
ダンスの世界は変わります。技術も情報も、時代と一緒に変わります。でも、変わらないものもあります。
挨拶。礼儀。感謝。継続。身体を大切にすること。言葉と行動を一致させること。人の話を素直に聞くこと。自分の可能性を勝手に閉じないこと。
そういう土台に触れながら、今の時代に必要な表現や学び方へ更新していく。
獅子会に入るメリットは、単にレッスンを受けることではなく、成長し続ける場の中に身を置けることです。
ダンスを通じて、自分の在り方が見えてきます。
踊りは、身体の動きとして見えます。でも、その奥には、その人が何を大事にしているかが出ます。
焦り、遠慮、怖さ、素直さ、楽しさ、覚悟。そういうものは、姿勢やリズムや表情に自然と出ます。
だからダンスを学ぶことは、自分を知ることにもつながります。身体の癖を知る。考え方の癖を知る。人前に立った時の心の動きを知る。仲間と関わる中で、自分の言葉や態度を見直す。
子どもにとっては、自分の可能性を小さく決めつけない経験になります。大人にとっては、もう一度自分の学び方や在り方を整える機会になります。保護者にとっては、子どもをコントロールするのではなく、一緒に成長を見守るきっかけになります。
それと、俺は隠して囲い込むことにあまり意味を感じていません。もちろん、直接その人を見る時間、深く関わる時間には価値があります。でも、考え方や言葉を必要以上に鍵をかけてしまうのは違うなと思っています。
なぜなら、俺自身も学び続けてアップデートしていくからです。出してもいい。伝えてもいい。そこから誰かが良くなるなら、それでいい。自分もまた次に進む。
そういう場の方が、全体が大きくなると思っています。師がアップデートする。生徒もアップデートする。親もアップデートする。場そのものがアップデートしていく。
細かな制度や現在の案内は、変わることもあります。だからそこは詳細ページで確認してもらえたら大丈夫です。
ここで伝えたいのは、獅子会が「何に触れるか」を変える場所だということです。
言葉、体験、師、仲間、親子の見方。触れるものが変われば、ダンスの意味も、成長の見え方も変わります。
迷っているなら、まず今の現在地を見てください。

ここまで書いてきたことは、全部ダンスの話であり、人生の話でもあります。
何に触れるか。どこに身を置くか。誰と出会うか。どんな言葉を自分の中に入れるか。親が子どもをどう見るか。本人が自分の100点をどう受け取るか。
そのすべてが、踊りに出ます。
練習量は大切です。良い先生も大切です。イベント経験も大切です。けれど、それらを受け取る器が育っていなければ、外側の行動だけが増えて、心は苦しくなっていきます。
反対に、自分の可能性を信じられる場に触れている子は、ある日大きく変わります。厳しさを嫌がるだけだった子が、本気の場にもう一度立ちたいと言う。親に言われたからではなく、自分でやりたいと思う。
その変化は、すぐに結果として見えるものばかりではありません。でも、身体の奥に残ります。言葉の中に残ります。表情に出ます。立ち方に出ます。そして、踊りに出ます。
俺は、子どもたちに火をつけたいと思っています。
無理やり燃やすんじゃなくて、その子の中にある火を消さないようにする。可能性を勝手に小さくしない。教科書通りだけで抑え込まない。でも、好き勝手ではなく、土台を大事にする。
のびのびやる。けど、当たり前のことはちゃんとやる。
学び続ける。けど、難しいことばかりに逃げない。
自分の100点を見る。けど、そこで止まらず次に進む。
そういう場所を作りたいんです。
獅子会は、そうした変化を大切にする場所です。
ダンスを通して身体を知り、身体を通して自分を知り、自分を知ることで表現が変わっていく。その過程を大切にしています。
今、子どものダンスや成長について迷っているなら、いきなり決めなくても大丈夫です。
まずは、どんな場なのかを見てください。どんな考え方でレッスンをしているのか。どんな入口から触れられるのか。そこを知るだけでも、今の迷いは少し整理されると思います。
大事なのは、今どこにいるかをちゃんと見ることです。今の現在地を見れば、次に触れるべきものが見えてきます。
今の現在地に合う入口を、詳細ページで確認してみてください。
SHIGE
