子どものダンスは身体のバランスと今日の100点から

獅子会のSHIGEです。最近ほんまに思うんですけど、ダンスって「力」で見すぎると、見えなくなるものがめちゃくちゃあります。力がある子は強く見えるし、勢いがある子はうまく見える。
でも、そこだけを見ていると、子どもの本当の伸びしろを見落としてしまうことがあるんです。この前の稽古でも、足を出す、止まる、身体を回す、床に入る、そういう一つひとつの動きを見ていました。
そこで俺がずっと言っていたのは、技の形そのものよりも、今その子の身体がどこでバランスを取っているかということでした。これ、ほんまに大事です。
たとえば足を前に出すだけでも、ただ足を出しているわけじゃない。
足の指の付け根で踏んでいるのか、親指側に乗っているのか、股関節から出せているのか。そこが少しズレるだけで、動きは一気にしんどくなります。
逆に、そこが合うと、同じ動きでも急に楽になる。
本人からしたら「あれ、なんでできたんやろ」という感じになるんです。でも、そこにちゃんと理由がある。俺は稽古でも、子どもたちに「知ると面白くなるよ」とよく伝えています。
これは、頭だけで知識を増やすという話ではありません。自分の身体の中で「今、何が起きているのか」を知るということです。
知らないまま頑張っている時は、子どもはしんどさの理由も分からない。
でも、足の出し方、中心の置き方、肩と股関節の関係が少し分かると、同じ練習でも見え方が変わります。「できない自分」ではなく、「まだ知らなかっただけの自分」に変わる。
この変化は、子どもにとってものすごく大きいんです。
しんどい動きには、しんどい理由がある

子どもが動いているのを見ていると、こっちからは見えることがあります。「今、体重がそこに乗りすぎているな」「今、中心が外に流れているな」「今、足を出しているつもりやけど、実は身体が違う方向に逃げているな」
本人は一生懸命やっている。でも、その一生懸命さが、そのまま力みになっている時があるんです。その時に「もっと頑張れ」だけで押すと、身体はさらに固くなる。
俺はそこを、なるべく身体の中で分かる形にしたいと思っています。
稽古で見ているポイント
- 足裏のどこで踏んでいるか
- 股関節から足を出せているか
- 肩と股関節の点がズレていないか
- コアを固めるのではなく、中心として感じられているか
- 力で止めているのか、バランスで止まれているのか
こういうことは、言葉だけで聞いても分かりにくいです。でも身体で一回「あ、そういうことか」と入ると、子どもは変わります。
前に出せと言われても出せなかった足が、股関節から出す感覚が入ると出る。
止まれなかったところで、両足の間隔と重心が合うと止まれる。怖かった動きが、床に入る順番を分かると怖くなくなる。ここが面白いんです。
「今日の100点」は、人と比べる点数じゃない

稽古中に、俺はよく「常に100点やで」と言います。これは、誰かと比べて100点という意味じゃない。他の子がやったらすごく見える動きでも、今の自分にはまだ50点に見えることもある。
逆に、周りから見たら小さい変化でも、その子の中では大きな100点の時があります。自分の中の100点を出せる状態を作る。それが大事なんです。昨日の自分と今日の自分は違う。
身体の重さも違うし、気持ちも違うし、理解していることも違う。だから、今日の自分の最大を感じること。そして、その最大を少しずつ積み重ねていくこと。
その積み重ねで、自分の最低点が上がっていく。
昨日は必死に出した90点が、次の日には当たり前になるかもしれない。そうやって、子どもの中の基準が少しずつ上がっていくんです。だから、俺は外側の評価だけで子どもを見たくない。
「あの子よりできた」「あの子よりできない」だけで見てしまうと、その日の100点が見えなくなるからです。親として見ていると、どうしても他の子と比べたくなる時があると思います。
あの子はもう回れている。あの子はもっと速く動けている。うちの子はまだ怖がっている。そう見える瞬間もある。でも、そこで子どもの火を消したらもったいない。
怖がっていた子が、今日は床に手をつけられた。
止まれなかった子が、今日は一回だけ自分の足で止まれた。その一回は、外から見たら小さいかもしれない。でも、その子の中では確実に身体の地図が広がっています。
その地図を一緒に見てあげる大人がいるかどうかで、子どもの伸び方は変わると思っています。
軸だけでは、立体的なダンスにならない

身体の話をする時に、「軸」という言葉はよく出ます。もちろん軸は大事です。でも、俺の感覚では、軸だけで見てしまうと足りないことがあります。踊りは止まっているものじゃないからです。
身体はずっと移動している。
上半身と下半身も動くし、肩も股関節も動くし、重心も変わる。だから俺は「点」という言い方をすることがあります。腕でいうなら、ただ手を振っているんじゃない。肩という点がある。
足でいうなら、ただ足を出しているんじゃない。
股関節という点がある。その点がどこにあるか。そこが定まっているか。ここが分かり出すと、身体は力だけで動かなくなります。肩と股関節の点が、バランスを取れる位置にある。
その後は、身体に動かしてもらう。
この感覚が入ってくると、無理やり振り回す動きじゃなくなります。遠心力も使える。床から返ってくる力も使える。身体のねじりも使える。これが、ただの力任せと全然違うところです。
知識が入ると、身体は余裕を持ち始める

ダンスは感覚のものです。でも、感覚だけで全部いけるわけでもない。知識が身体を助けてくれることがあります。ここを勘違いしたらあかんのですが、知識だけで踊るという意味ではありません。
頭で分かったふりをして、身体が置いていかれるのは違う。でも、身体で起きていることを少しでも理解できると、動きに余裕が生まれます。たとえば、中心が近すぎるから速く動けない。
点を少し置き直したら、足を速く踏める。
力を抜くために、どこを感じればいいかが分かる。そうすると、その間に余裕が生まれる。余裕が生まれるということは、コントロールできる時間が生まれるということです。
力がないからできないんじゃない。
どこに力を通すか、どこを抜くか、どこを中心にするかを知らないだけの時がある。
ここが分かってくると、身体能力だけで勝負しなくてよくなります。もちろん筋力も体力も大事です。でも、筋力だけで全部を解決しようとすると、しんどくなる。怪我にもつながる。
逆に、バランスと知識が入ると、細い身体でもすごいことができることがあります。それは、パワーがないのにすごいんじゃない。
パワーの向きと通り道を知っているから、力を無駄にしていないんです。
俺は、これを算数みたいなものやなと思う時があります。ただ答えを暗記するのではなく、なぜその答えになるのかを知る。力をどこにかけたら、どの方向に返ってくるのか。
ボールを投げる時も、適当に投げたら届かない。
どの角度で、どの強さで、どこに向かって投げるかが分かるから、相手のところに届く。身体も同じです。床を押す、返ってくる、ねじる、流す。その一つひとつに理由がある。
理由が分かると、気合いだけで突っ込まなくていい。
これは子どもにとって、安心にもつながります。
怖さは、身体で順番を知ると小さくなる

床に入る動きや、身体を倒す動きには、怖さがあります。これは子どもだけじゃなく、大人でもそうです。怖いものは怖い。だから「気合いで行け」だけでは危ない。
俺は、怖さを無視して突っ込むことが良いとは思っていません。
怖いなら、怖くない高さから入ればいい。床にどう触れるか。どの順番で身体を預けるか。どこで受けて、どこで流すか。それを少しずつ身体に入れていく。
そうしたら、「これ、実は全然怖くないやん」となる瞬間があります。
その瞬間、子どもの顔が変わるんです。さっきまで大技に見えていたものが、ほんまは座る動きの延長やった。転がる動きの延長やった。身体をねじって、足を入れ替えて、床から起きるだけやった。
そう分かった瞬間に、動きは一気に近くなる。遠くにあった技が、自分の身体の中に降りてくるんです。受け身も同じです。
受け身というと、転んだ時に怪我をしないためのものに見えるかもしれません。もちろんそれもあります。
でも俺は、受け身は「身体を預ける練習」でもあると思っています。床を敵にしない。怖いものとして避け続けるのではなく、どう触れたら痛くないかを身体で知る。
それが分かると、ブレイクの動きも、床を使うヒップホップの動きも、急に近くなります。身体が固まるのではなく、流れていく。そこで初めて、勢いだけではない表現が出てくるんです。
できる人の当たり前を、そのまま押し付けない

ダンスの世界には、すごい人がいっぱいいます。センスがある人、感度が高い人、自然にバランスが取れている人。
そういう人は、自分が当たり前にできることを、他の人も当たり前にできると思ってしまうことがあります。
でも、そこにはその人のベースがある。身体の感覚、音の取り方、ファッションの感度、今まで触れてきたもの。全部が混ざって、その人の当たり前になっている。
俺も昔、師匠から全部を言葉で教えてもらったわけではありません。
ターンの仕方を細かく教えてもらえなかったから、自分で考えたこともある。でも、今思うと、それが良かった部分もあります。
もし全部をそのまま教えてもらっていたら、その人のやり方しかできなかったかもしれない。
教えてもらえなかったから、自分の身体で探すしかなかった。どうやったら回れるのか。どこでバランスを取ればいいのか。何を知れば、自分の身体でもできるようになるのか。
そうやって考えてきたから、今、子どもたちに伝えられることがあります。うまい人の形を真似するだけじゃなく、その形が生まれる理由を見る。それが獅子会で大事にしていることです。
そして、感度は触れて育つものです。
音に触れる。服に触れる。人に触れる。現場に触れる。ストリートダンスは、ステップだけでできているわけではありません。その人が何をかっこいいと思うのか。どんなものを見てきたのか。
どんな人に影響を受けたのか。
そういうものが、身体の動きにも出てきます。だから、獅子会では技を覚えることだけに閉じたくない。何に触れるか。どこに身を置くか。誰と出会うか。
そこまで含めて、子どもたちのダンスは育っていくと思っています。
何に触れるかで、子どもの身体は変わる

子どもは、ほんまにすごいです。一回身体で分かると、次の瞬間にはもう顔が変わっている。「できた」だけじゃない。「なんでできたか分かりそう」という顔になる。この差は大きいです。
できたことだけを喜ぶのも大事です。
でも、なんでできたかに触れると、次に自分で直せるようになる。自分で気づけるようになる。自分の身体を、自分で見られるようになる。これはダンスだけの話じゃありません。
何かがうまくいかない時に、ただ自分を責めるんじゃなくて、原因を見られるようになる。怖い時に、気合いだけで突っ込むんじゃなくて、順番を見られるようになる。
人と比べて落ち込むんじゃなくて、今日の自分の100点を見られるようになる。これが、身体を通して学ぶということやと思っています。
獅子会で見たいのは、火が消えない成長

俺は、子どもに無理やり型を押し付けたいわけじゃありません。でも、のびのびやるだけで、何も見ないのも違う。のびのびやる。でも当たり前のことはちゃんとやる。自分の身体を見る。
今日の100点を見る。
何に触れて、どこに身を置いて、誰と出会うかを大事にする。その積み重ねで、子どもの火は消えずに育っていくと思っています。ダンスは、技だけを覚える場所じゃない。
身体を通して、自分を知る場所です。
力で押し切るんじゃなく、バランスを知る。できるできないで終わるんじゃなく、今日の自分の100点を感じる。
教わった形をなぞるだけじゃなく、自分の身体で「あ、そういうことや」と分かっていく。
そこに触れた子は、ダンスの見え方が変わります。そして、ダンス以外のことにも、その見方は少しずつつながっていく。親に見てほしいのも、そこです。
技ができたかどうかだけを見ると、どうしても結果だけの話になります。
もちろん、できたら嬉しい。それはめちゃくちゃ大事です。でも、その前に、子どもが何に気づいたのかを見てほしい。怖かったのに一歩入れた。身体が固まっていたのに、少し力を抜けた。
先生の言葉をただ聞くだけじゃなく、自分の身体で試そうとした。その変化は、あとから大きく効いてきます。今日すぐに派手な技にならなくても、身体の中では土台が育っている。
その土台を見逃さないことが、子どもの火を消さないことにつながります。俺は、うまい子だけを育てたいわけじゃありません。自分の身体を信じられる子を育てたい。
分からないことに出会った時に、投げ出すんじゃなくて、もう一回感じてみようと思える子を育てたい。そのために、ダンスという身体の学びはほんまに強いと思っています。在れば成る。
まず自分の在り方があって、身体の状態があって、その上に動きが出てくる。そこを、これからも獅子会で大事にしていきたいです。
だから獅子会では、ただ技を増やすだけの時間にしたくありません。できる子だけが目立つ場所でもなく、できない子を置いていく場所でもない。
それぞれが今日の身体で、今日の100点を探せる場所にしたいんです。そこには、仲間の存在もあります。
誰かが怖がりながら一歩入るのを見る。誰かが失敗して、もう一回やるのを見る。誰かが急に「あ、分かった」という顔になるのを見る。
そういうものに触れていると、自分の中にも火がつくんです。言葉で励まされるより、横で本気でやっている人の姿に動かされることがある。
ストリートダンスの良さは、そこにもあると思っています。うまい下手だけではなく、その人の在り方が動きに出る。
だからこそ、子どもには本気の空気に触れてほしいし、大人にもその変化を丁寧に見てほしい。
その積み重ねが、ただの習い事ではなく、その子の生き方の土台になっていく。俺はそういう時間を、これからも現場で作っていきたいです。
今の現在地に合う入口を、詳細ページで確認してみてください。
SHIGE
