一生懸命だけではダンスがかっこよくならない本当の理由

ヒップホップのダンススタジオで子どもがステップの見せ方を練習している様子

獅子会のSHIGEです。レッスンを見ていると、「一生懸命やっているのに、なぜかかっこよく見えない」瞬間があります。

もちろん、一生懸命は大事です。手を抜いていいという話ではありません。練習すること、覚えること、何回もやること。そこを飛ばして、かっこよくなれるわけがない。

でも、そこに一つ落とし穴があります。一生懸命やっている姿と、かっこいい踊りは同じではないということです。

子どもが真面目にステップを踏んでいる。頑張って動いている。先生に言われたことを守ろうとしている。それはめちゃくちゃええことです。

でも、見ている人に伝わっているものが「頑張ってるな」だけになっている時があります。そこから先に行かないと、ダンスはなかなか人の心に届かない。

俺が現場で見ているのは、技の正確さだけではありません。その子が何を見せようとしているのか。今の動きで、何を伝えようとしているのか。そこです。

俺自身、昔は「できるステップが増えれば、自然にかっこよくなる」と見ていました。でも現場で子どもを見続けていると、形が合っていても届かない踊りがある。そこから、俺は見せ方を見るようになりました。

ここが変わると、同じチャールストンでも、同じランニングマンでも、同じステップでも、見え方が全然変わります。

身体のバランスの話をしていると、次に必ず見えてくるのが「見え方」の問題です。身体が動くようになってきた子ほど、次にぶつかる壁があります。

それは、「できるようになったのに、なぜかかっこよく見えない」という壁です。ここをただ練習量で押し切ろうとすると、子どもはどんどん力みます。

一生懸命は否定しない。でも、それだけでは届かない

ヒップホップの練習で一生懸命さと見せ方の違いを学ぶ子ども

俺は、一生懸命な子が嫌いなわけではありません。むしろ一生懸命やる子は好きです。ちゃんと聞こうとしている。ちゃんとやろうとしている。できないことに向き合っている。

でも、一生懸命だけをゴールにしてしまうと、踊りが固まることがあります。

「間違えたらあかん」「ちゃんとやらなあかん」「先生に言われた通りにしなあかん」と思いすぎると、身体がカチカチになる。顔も固くなる。呼吸も浅くなる。

そうなると、動きは合っているのに、踊りとしては届きにくくなるんです。

一生懸命は入口です。
でも、踊りはそこで終わりではありません。そこから「何を見せるのか」まで行った時に、初めてその子のダンスになっていきます。

俺が子どもたちに伝えたいのは、頑張ることをやめろという話ではありません。頑張り方を変えようということです。

ただ必死に動くのではなく、そのステップの良さをどう出すか。自分の良さをどう乗せるか。そこまで考えると、練習の意味が変わります。

子どもは、言われたことをちゃんとやろうとします。特に真面目な子ほど、身体より先に頭が働きます。「これで合ってるかな」「怒られへんかな」「間違えてへんかな」と考える。

その気持ちは分かります。でも、そこだけで踊ると、踊りが「確認作業」になります。確認作業になった瞬間、見ている人には、その子の良さよりも緊張の方が先に伝わってしまう。

だから俺は、一生懸命を消したいんじゃなくて、一生懸命の先にある余裕まで連れていきたいんです。

この余裕は、手を抜くことではありません。むしろ、ちゃんと積み重ねた子にしか出ない余裕です。やるべきことをやってきたから、力まなくても出せる。

「頑張ってるな」と「かっこいいな」は違う

頑張っている動きからかっこよく見せる動きへ変わるキッズダンス練習

見ている人が「頑張ってるな」と思うことはあります。汗をかいている。何回もやっている。間違えても止まらない。それは伝わります。

でも、ダンスで本当に伝えたいのは、それだけではないはずです。

子ども自身も、ただ「頑張ってる子」に見られたいわけではないと思います。かっこよく踊りたい。音に乗りたい。自分の好きな感じを出したい。人に「おっ」と思ってもらいたい。

そこがあるから、ダンスをやっているんです。

だから、俺は現場でよく聞きます。「何を見せたいん?」と。ステップを見せたいのか。リズムを見せたいのか。軽さを見せたいのか。重さを見せたいのか。自分のかっこよさを見せたいのか。

ここが曖昧なまま踊ると、全部が「一生懸命やっている」にまとまってしまいます。

でも、見せたいものが決まると、身体の使い方が変わります。顔の向きも変わる。止まり方も変わる。次のステップへのつなぎ方も変わる。

親から見ても、頑張っている姿は分かりやすいです。汗をかいている。何回もやっている。悔しそうにしている。そこを見ると「頑張ってる」と思える。

でも、ダンスの現場では、それだけでは判断できません。頑張っているのに、身体が固まっていて良さが出ていないこともある。反対に、力が抜けているからこそ、すごく踊れていることもある。

ここを見誤ると、「もっと頑張れ」という言葉だけが増えてしまいます。でも必要なのは、さらに力を入れることではなく、どこを抜いて、何を見せるかに気づくことかもしれません。

子どもにとっても、ここは大きな分かれ目です。「頑張ったね」で終わるのか、「今の見え方よかったね」と言われるのか。後者の方が、踊りの中身を見始めます。

ステップを覚えることと、ステップを使うことは違う

ストリートダンスのステップを覚えるだけでなく使い方を考える子ども

ダンスを習っていると、ステップを覚えます。チャールストン、ランニングマン、クラブステップ。いろんな名前があって、いろんな形があります。

もちろん、覚えることは大事です。知らないものは使えません。身体に入っていないものは、踊りの中で出てこない。

でも、覚えた瞬間に終わりではありません。そこからが本番です。

そのステップを、何に使うのか。どうつなぐのか。どこで出すのか。どんな音に合わせるのか。自分のどんな良さを出すために使うのか。

ここを考えられるようになると、同じステップでもまったく違うものになります。

「できました」だけで終わるのか。
「これをどう使おうかな」まで考えるのか。
その差は、踊りにそのまま出ます。

上手くなる子は、ステップを集めているだけではありません。ステップの使い道を探しています。

ランニングマンのあとにチャールストンを入れる。クラブステップから流れを作る。足の共通点を見つけて、別のステップにつなげる。そうやって、踊りがただのパーツではなくなっていきます。

ステップを覚える段階では、形を間違えないことに意識が向きます。それは必要です。最初から全部自由にやったら、土台がなくなります。

でも、形だけを守り続けると、今度はそのステップが「テストの答え」みたいになります。正解したか、間違えたか。それだけになる。

ダンスは答え合わせではありません。覚えたステップを、自分の身体でどう使うか。音の中でどう置くか。そこに、その子の考え方が出ます。

だから、先生が見るべきなのは、ステップの数だけではありません。その子が覚えたものをどう料理しようとしているか。そこを見てあげる必要があります。

チャールストンの何を見せたいのか

チャールストンの良さを見せようとする子どものヒップホップ練習

たとえばチャールストンをやるとします。その時に、ただ足を動かしているだけなら、見ている人には「チャールストンをやっているな」くらいしか伝わりません。

でも、チャールストンの何を見せたいのかを決めると、急に変わります。

軽さを見せたいのか。足さばきの気持ちよさを見せたいのか。リズムとのハマり方を見せたいのか。次の技へのつなぎとして見せたいのか。

そこが決まると、同じ一歩でも意味が変わります。

俺は、子どもに「全員同じチャールストンをしろ」とは思っていません。形の基礎はあります。でも、その先にある見せ方は一人ずつ違っていい。

その子が好きな感じ。その子が出したい雰囲気。その子の身体に合うリズム。そこが乗ってきた時に、ステップはただの練習メニューではなくなります。

その子のダンスになるんです。

チャールストンの形ができたとしても、それをどこで出すかで見え方は変わります。ずっとチャールストンを見せるのか、別のステップを引き立てるために使うのか、間に入れて流れを作るのか。

同じステップでも、主役にもなれば脇役にもなります。そこを考えられるようになると、子どもの踊りは急に大人っぽく見えることがあります。

大人っぽいというのは、背伸びするという意味ではありません。自分が何をしているかを分かって踊っているということです。

この問いは、子どもにとって最初は難しいです。でも、難しいからこそ意味があります。考えたことがないところに、伸びしろがあるからです。

真面目すぎる子ほど、動きが固まる

真面目に固まらずリラックスして踊ることを学ぶ子ども

真面目な子ほど、言われたことを守ろうとします。間違えないようにする。ちゃんとやろうとする。先生に見られていると思うと、さらに固くなる。

それは悪いことではありません。真面目さは才能です。でも、その真面目さが身体を止めてしまうことがあります。

踊りは、正解をなぞるだけではありません。音があって、身体があって、自分の感覚があって、その場の空気がある。

だから、正しくやろうとしすぎると、逆に音から離れていくことがあります。

真面目にやることと、固まることは違います。
本当に大事なのは、言われたことを守りながらも、自分の身体が動ける余白を残すことです。

その余白がある子は、同じステップでも柔らかい。間違えた時にも戻ってこられる。音が変わった時にも反応できる。

これは、ダンスだけの話ではありません。真面目さを自分を縛るものにするのか、自分を伸ばす土台にするのか。そこは大きいです。

真面目な子は、言葉をそのまま受け取りすぎることがあります。「こうして」と言われたら、そこだけに身体を集中させる。すると、他の場所が止まる。

足を意識したら肩が固まる。手を意識したら呼吸が止まる。顔を作ろうとしたらリズムが消える。そういうことはよくあります。

だから、真面目さを悪者にしないまま、身体全体に戻してあげる必要があります。ちゃんとやる。でも固まらない。ここがほんまに大事です。

獅子会では、真面目な子の真面目さを壊したいわけではありません。その真面目さに、遊びと余裕と見せ方を足したいんです。

かっこよく見せたいなら、立ち方から変わる

立ち方からかっこよさを整えるキッズヒップホップレッスン

俺は、立ち方も見ます。踊っている瞬間だけではなく、立っている時の身体も見ます。

なぜなら、見せるということは、動いている時だけの話ではないからです。踊る前の立ち方、待っている時の姿勢、力の入り方、目線。全部出ます。

かっこいい動きをしたいのに、立ち方で全部が崩れていたらもったいない。動きはできているのに、身体の見え方で損している子もいます。

そこを責めたいわけではありません。気づけば変えられるから言うんです。

子どもは、一回気づくと変わります。「あ、ここで損してたんや」と分かると、自分で直せるようになる。人に言われ続けるだけではなく、自分で見られるようになる。

その時、踊りは一段変わります。

踊り出す前から、その子は見えています。立っている時、順番を待っている時、先生の話を聞いている時。そこに、その子の状態が出ます。

「まだ踊ってないから関係ない」ではありません。踊る前の身体が、踊り出した瞬間にそのまま出ます。

だから、立ち方を整えることは、見た目だけの注意ではありません。自分の身体をどう扱うかを知る入口です。そこが整うと、最初の一歩が変わります。

かっこよく立てる子は、踊っていない時間も踊りにつながっています。そこまで見えてくると、子どもは自分の身体を雑に扱わなくなります。

親が見てほしいのは、結果よりも見せ方の変化

子どものダンスの見せ方の変化を見守る保護者と仲間

親は、どうしても分かりやすい結果を見たくなります。できたか。間違えたか。勝ったか。選ばれたか。周りより上手いか。

それも分かります。見える結果は気になるし、子どもが頑張っているからこそ期待もする。

でも、俺が見てほしいのは、もう少し小さい変化です。

  • 踊る前の立ち方が変わった
  • ステップをただ踏むだけではなく、使い道を考え始めた
  • 固かった顔が少し緩んだ
  • 音を聞く余裕が出てきた
  • 自分のかっこよさを探そうとし始めた

こういう変化は、すぐに点数にはなりません。でも、あとから大きく効いてきます。

子どもが自分の見せ方に気づき始めると、練習への向き合い方が変わります。やらされる練習ではなく、自分のものにする練習になっていく。

親が小さい変化を見られるようになると、子どもの受け取り方も変わります。「できたかどうか」だけで見られていると、子どもは失敗を隠したくなる。

でも、「今、見せ方が変わったね」「前より音を聞いていたね」「力が抜けていたね」と言われると、子どもは自分の変化を見られるようになります。

それは褒めるための言葉ではなく、身体の現在地を一緒に見る言葉です。その見方があると、子どもの火は消えにくくなります。

親の見方が変わると、家での声かけも変わります。「もっとやりなさい」だけではなく、「今の何を見せようとしてたん?」と聞けるようになる。

獅子会で育てたいのは、火が消えないかっこよさ

獅子会のスタジオで自分のかっこよさに気づいていく子どもたち

俺は、子どもにただ上手くなってほしいだけではありません。自分のかっこよさに気づいてほしいと思っています。

誰かの真似だけで終わるのではなく、自分の身体で「あ、こう見せたい」と思えること。ステップを覚えるだけではなく、そのステップを自分の中で使えるようになること。

そこに行くと、ダンスは楽しくなります。楽しいだけのダンスとはまた違う、深い楽しさが出てきます。

できた。見えた。伝わった。もっとこうしたい。そういう火がつく。

その火を消さないためには、大人が結果だけで見ないことも大事です。一生懸命だけを褒めるのでもなく、失敗だけを責めるのでもなく、その子が何を見せようとしているのかを見る。

獅子会で作りたいのは、そういう場です。のびのびやる。でも当たり前のことはちゃんとやる。自分の良さを探す。でも好き勝手ではなく、身体と音と場に向き合う。

一生懸命は大事です。でも、一生懸命だけでは終わらせない。その先にある、その子だけのかっこよさまで一緒に見ていきたいです。

かっこよさは、誰かに貼り付けてもらうものではありません。流行りの形を真似すれば終わりでもない。自分の身体、自分の感覚、自分の好きなものを通して少しずつ見えてくるものです。

だからこそ、焦らなくていい。でも、ただ待つだけでも変わらない。毎回の練習の中で、「自分は何を見せたいのか」を少しずつ掘っていく。

俺は、その過程を大事にしたいです。すぐに派手な結果にならなくても、その子の中で見え方が変わったなら、それは大きな成長です。

そこに、獅子会に触れる意味があります。技を増やすだけではなく、自分の良さを見つける見方に触れること。それが子どもの表現を変えていきます。

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SHIGE