気合いで踊っているうちは身体に入っていない本当の理由

獅子会のSHIGEです。レッスンで子どもたちを見ていると、気合いだけで押し切っている動きはすぐ分かります。ダンスは、気合いだけでは身体に残らないんです。
もちろん、気合いが必要な時もあります。やり切る力、踏ん張る力、もう一回やる力。それは大事です。
でも、ずっと気合いを入れないとできないことは、まだ身体に入っていないことでもあります。
本当に身体に入っているものは、気合いを入れなくても出ます。立ち方、足の向き、呼吸、音の聞き方、レッスンの受け方。そういう当たり前が、踊りの土台になります。
俺が子どもたちにしつこく言うことは、派手な技だけではありません。もっと地味なことです。でも、その地味なことが変わると、踊りは一気に変わります。
勢いがある子を見ると、「このまま伸びる」と感じていた時期もあります。前に出る力、やり切る力、負けたくない気持ち。それは間違いなく武器です。
でも、長く見ていると分かります。勢いだけで踊っている子は、環境が変わった時に崩れやすい。逆に、地味なことを当たり前にできる子は、派手に見せなくても強い。そこに気づいてから、俺は気合いより土台を見るようになりました。
身体のバランスが変わると、ダンスは変わります。そこからさらに大事になるのが、そのバランスを日常の当たり前にしていくことです。
子どもは、言われた瞬間はできます。でも、次の瞬間に戻ることがあります。これはやる気がないからではありません。まだ身体の習慣になっていないだけです。
だから、俺は「もっと気合い入れろ」だけでは終わらせたくないんです。気合いよりも、毎回戻ってこられる土台を作りたい。
子どもが伸びる時は、派手な瞬間だけで変わるわけではありません。むしろ、見えにくいところが少しずつ変わっていることが多いです。
立っている時の足。話を聞く時の目。待っている時間の使い方。踊る前の呼吸。そういう小さいものが積み重なって、ある日、動きとして出てきます。
気合いでどうにかする段階は、まだ入口

「気合い入れてやれ」と言いたくなる時はあります。本人も、気合いを入れたらできる気がする。
でも、気合いでどうにかしている間は、身体の中ではまだ安定していません。
力を入れないと止まれない。意識しないと足が崩れる。言われないと姿勢が戻る。そういう状態は、まだ当たり前になっていないということです。
それを責めたいわけではありません。入口としてはそれでいいんです。最初は気合いもいる。意識もいる。何回も言われることもある。
でも、そこをゴールにしたらあかん。
本当に変わるのは、気合いを入れなくてもできるようになった時です。
そのためには、一回の頑張りではなく、毎回の当たり前が必要になります。
「今日だけできた」ではなく、
「言われなくても戻れるか」。
そこが、身体に入っているかどうかの分かれ目です。
気合いが強い子ほど、最初は勢いで乗り切れることがあります。だから本人も、大人も「このまま頑張ればいける」と思いやすい。
でも、勢いでいける範囲には限界があります。難しい動きになった時、人前で緊張した時、音が変わった時、身体の当たり前がないと一気に崩れる。
だから、気合いを否定するのではなく、気合いがなくても残るものを作る必要があります。
ここを間違えると、子どもはずっと根性論の中で踊ることになります。頑張っているのに変わらない。頑張っているのに固い。その状態はしんどいです。
当たり前になったものだけが、本番で出る

本番や人前に立った時、子どもは緊張します。いつもできていることが出なくなることもある。
その時に残るのは、普段から当たり前になっているものです。
レッスンの時だけ意識していることは、緊張した時に飛びやすい。先生に言われた時だけ直すことは、自分一人になると戻りやすい。
だから、俺はしつこく言います。立ち方。足の向き。呼吸。音を聞くこと。自分の身体を見ること。
何回も言われると、子どもは「またか」と思うかもしれません。でも、そこが当たり前になった時に、踊りが変わるんです。
当たり前の大きさが、その子のダンスの大きさになります。
当たり前は、目立ちません。立ち方が整っていること、呼吸が止まっていないこと、足が自然に出ること。できている時ほど、周りからは普通に見えます。
でも、その普通が強いんです。普通にできるから、次のことを考えられる。音を聞ける。見せ方を選べる。
当たり前が小さい子は、毎回そこでエネルギーを使います。だから、次の表現まで行きにくい。土台がある子は、同じ練習でも見える景色が違います。
当たり前を育てるには、周りの大人の目も必要です。できていないところを責めるのではなく、戻る場所を何回も知らせる。そこに協力がいります。
内股ひとつで、踊りの見え方は変わる

たとえば内股です。たったそれだけと思うかもしれません。でも、立ち方ひとつで見え方は変わります。
どれだけかっこいいことを言っていても、どれだけいい動きをしていても、立ち方が崩れているだけで損をすることがあります。
これは見た目だけの話ではありません。身体の使い方にもつながっています。足の向きが変わると、重心が変わる。重心が変わると、動き出しが変わる。止まり方も変わる。
だから、細かいことを言っているようで、実は全部つながっています。
子どもにとっては、最初は面倒に感じるかもしれません。でも、一つ直ると、別のところが見えてくる。
内股を注意する時も、俺は「見た目が悪いから」だけで言っているわけではありません。
その立ち方のまま踊ると、力の逃げ方も変わる。止まる時のバランスも変わる。何より、その子の持っている良さが見えにくくなることがあります。
たった一つの癖が、全体の印象を邪魔している。そういう時は、その癖を外してあげるだけで、別の良さが出てきます。
だから、細かいことほど軽く見ない方がいい。小さい癖が整うと、その子の見せたいものが出やすくなります。
ダンスと普段の生活を切り離さない

ダンスが上手くなる子は、レッスン中だけ頑張っているわけではありません。
普段の立ち方、歩き方、人の話の聞き方、自分の身体への気づき方。そういうものが、全部ダンスにつながっています。
レッスンの時間だけ別人になろうとしても、なかなか難しいです。普段の自分がそのまま出るからです。
これは、子どもを縛りたいという話ではありません。日常から全部きっちりしろという話でもない。
ただ、ダンスと生活を完全に切り離してしまうと、伸びる幅が狭くなるということです。
立っている時にどう見えているか。人前でどう在るか。聞く時にどれだけ聞けているか。そういうことまで含めて、踊りに出ます。
普段の生活とダンスをつなげるというのは、四六時中ダンスのことだけを考えろという意味ではありません。
ただ、レッスンで気づいたことを、普段の自分にも少し持ち帰るということです。立ち方に気づく。呼吸に気づく。人の話を聞く時の姿勢に気づく。
そういう小さい持ち帰りがある子は、次のレッスンで変わっています。レッスンとレッスンの間に、身体が育っているからです。
親がここを分かっていると、家での見方も変わります。レッスンの時間だけではなく、普段の姿勢や言葉の受け取り方まで、少しずつつながって見えてくる。
レッスンの受け方で、伸び方は変わる

同じレッスンを受けていても、伸び方は違います。これは才能だけの話ではありません。
受け方が違うんです。
ただ聞いている子。言われたことだけやる子。分かったふりをする子。自分の身体に置き換えて考える子。人の動きを見て、自分の材料にする子。
同じ場所にいても、受け取っているものは全然違います。
ノートも同じです。綺麗に書くことが目的ではありません。何のために書くのか。あとで自分ができるようになるために書くのか。聞くべき時に聞けているのか。
真面目に受けているように見えることと、ちゃんと受け取れていることは違います。
大事なのは、レッスンを自分の身体に変えていくことです。
- 話を聞いている時の身体が崩れていないか。
- 言われたことを、次の一回で試しているか。
- できない時に、雑に流していないか。
ここが変わると、子どもは自分で伸び始めます。
レッスンの受け方は、親にも見てほしいところです。子どもが先生の話を聞いているかだけではなく、その言葉をどう身体に入れようとしているか。
聞いた瞬間に分かった気になる子もいます。でも、分かったことと、できるようになることは違います。
だから、受け方を育てる必要があります。聞く時は聞く。試す時は試す。できなかった時は、自分の身体のどこで止まったのかを見る。ここまで行くと、伸び方が変わります。
学び方が育つと、先生がいない時間も伸びる時間になります。これは子どもにとって、ものすごく大きい力です。
人数のせいにする前に、自分の時間を見る

人数が多いから上手くならない。見てもらう時間が少ないから伸びない。そう思うこともあるかもしれません。
でも、俺はそこだけでは見ません。
レッスン中でも、自分の時間は常にあります。人が踊っている時に何を見ているか。待っている間に何を感じているか。自分の番が来るまでに何を準備しているか。
そこを使える子は、人数に関係なく伸びます。
先生に見られている時だけが練習ではありません。人の動きを見て、自分の身体で試す。言われたことを自分の中で反復する。自分の癖を確認する。
その時間をどう使うかで、伸び方は変わります。
環境は大事です。でも、環境の中で自分がどう在るかはもっと大事です。
人数が多い場では、先生がずっと一人だけを見ることはできません。でも、それは何もできない時間ではありません。
むしろ、自分で考える時間が増えます。人の動きを見る。先生が他の子に言った言葉を自分にも当てはめる。自分の順番までに身体を準備する。
この時間を使える子は強いです。見られていない時に何をしているか。そこに、その子の伸び方が出ます。
これは厳しいようで、かなり自由な話です。自分の時間を使える子は、どんな環境でも材料を見つけられるからです。
呼吸が変わると、身体は音楽に戻ってくる

踊っている時に、呼吸が止まっている子がいます。必死になって、音を追いかけている。動きを追いかけている。
でも、呼吸が止まると、音楽から離れていきます。
一生懸命音に合わせようとしているのに、身体の中では音楽から遠ざかっている。これ、よくあります。
呼吸が戻ると、身体に余白ができます。音を聞ける。止まれる。次の動きに入れる。力を抜ける。
だから、難しいことを増やす前に、まず呼吸を見ることがあります。
深呼吸しろという単純な話ではありません。音楽の中で呼吸が続いているか。身体が固まっていないか。そこです。
ここが変わるだけで、同じステップが違って見えます。
呼吸は、見えにくいけど踊りに出ます。呼吸が止まっていると、身体は固くなる。固くなると、音に反応しにくくなる。
一生懸命音を追いかけているのに、身体の中では余裕がなくなっている。そうなると、音楽を感じるより、動きを処理するだけになります。
呼吸が戻ると、踊りに間ができます。間ができると、見せ方が生まれます。だから、呼吸はただのリラックスではなく、表現の土台でもあります。
呼吸が戻ると、表情も変わります。肩の力が抜けて、音を聞く顔になる。そういう変化は、見ている人にも伝わります。
獅子会で育てたいのは、気合いではなく土台

獅子会で育てたいのは、気合いだけで押し切る子ではありません。
気合いが悪いわけではない。でも、それだけではいつかしんどくなります。身体も固まるし、心も疲れる。
大事なのは、土台です。立ち方、呼吸、習慣、聞き方、自分の時間の使い方。そういうものが整ってくると、踊りは自然に変わっていきます。
派手な技より先に、地味な当たり前がある。そこを面白がれる子は強いです。
そして、その土台はダンス以外にもつながります。学校の授業の聞き方、人との関わり方、自分の癖への気づき方。全部がつながっていく。
俺は、子どもにただ動けるようになってほしいわけではありません。自分の身体を見られる子になってほしい。自分の時間を使える子になってほしい。気合いだけではなく、当たり前を積み重ねられる子になってほしい。
そこに触れられる場を、これからも獅子会で作っていきます。
土台を育てるには時間がかかります。すぐに派手な結果が出ないこともあります。だからこそ、大人の見方が大事です。
今日すぐに技が増えたかどうかだけを見ると、土台の変化を見逃します。でも、立ち方が変わった、聞き方が変わった、自分の時間の使い方が変わった。そこに気づけると、子どもも自分の成長を見られるようになります。
気合いではなく土台を育てる。それは遠回りに見えるかもしれません。でも、あとから一番強く残るのは、そういう当たり前です。
獅子会で大事にしたいのは、ここです。派手に見える成長の奥に、地味な土台がある。その土台を一緒に見られる大人がいることが、子どもの火を守ります。
親がここを見られるようになると、子どもの成長はかなり丁寧に見えてきます。今日できた技だけではなく、今日変わった姿勢や受け取り方に気づけるようになる。
それは、子どもにとって安心にもなります。結果だけで見られているのではなく、自分の変化を見てもらえていると感じられるからです。
俺は、そういう見方がある場を作りたいです。厳しいことも言う。でも、ただ責めるためではなく、その子の良さをちゃんと出すために言う。
気合いで押し切るのではなく、当たり前を育てる。そこに時間をかけられる子は、後から強くなります。踊り方だけではなく、学び方そのものが変わるからです。
これが、獅子会で触れてほしい土台です。
当たり前を育てるというのは、地味です。すぐに派手な拍手が起きることではないかもしれません。
でも、踊りが本当に変わる時は、その地味なところが変わっています。無意識の立ち方、聞き方、呼吸、待ち方。そこが変わった子は、本番で崩れにくくなる。
だから俺は、目立つところだけを追いかけたくありません。見えにくい土台まで一緒に見て、そこから子どもの踊りを育てたいんです。
保護者にも、ここを知っていてほしいです。子どもが伸びない時、すぐに「練習量が足りない」「気持ちが弱い」と見てしまうことがあります。でも本当は、身体に入る前の当たり前がまだ育っていないだけかもしれません。
そこで責めるのではなく、戻る場所を一緒に作る。立ち方に戻る。呼吸に戻る。聞き方に戻る。自分の時間の使い方に戻る。その戻り方を知っている子は、崩れてもまた立て直せます。
その立て直し方を、ダンスを通して身体で覚えていくことに意味があります。
土台が育つと、同じ注意を受けても入り方が変わります。言われたから直すのではなく、自分の身体を良くするために戻れるようになる。その差は、あとから大きく出ます。
それを積み重ねた子は、派手な技を覚えた時にも自分を見失いません。
それが、獅子会で大事にしている強さです。
小さい土台を軽く見ない子ほど、あとで大きく伸びます。
ほんまにそう思います。
今の現在地に合う入口を、詳細ページで確認してみてください。
SHIGE
